母の日

みなさま

暑い日が続いていますね。
連日室温が30度超えでどうにかなりそうです。
いかがお過ごしでしょうか。


私は3月4月と仕事がきつかったり、
仲良しの上司が辞めてしまったり、
10年連れ添った愛犬が死んでしまったり、

精神がゴリゴリと削られていましたが・・

あまり話したことがなかった先輩に弱音を吐いてみたら
飲みにいくことになって少し仲良くなれたり、
上司にきついことはきちんときついと伝えられるようになったり、
伝えたことによって新しい分野の仕事に挑戦できたり。
(まぁ超ポジティブな解釈ですが・・嫌なことの方が多かったです・・働くって大変)

そんなこんなであっという間に5月になり、
連休も無事にもらえて旅行に行ったり、
最近は穏やかな時間をすごしておりました。

 

======
5月8日
本日、5月の第二日曜日は母の日ですね。
みんなカーネーションを贈るのかな?
なんて思いつつ実家に帰ったら祖母は叔母からあじさいをもらっていました。


去年の母の日はすごく印象に残っていて。
妹が母のためにご馳走を作って、3姉妹で花束を贈りました。
カードに添えたメッセージはほんとうにありきたりで
「ずっと元気でいてね」
「大好きだよ」
「育ててくれてありがとう」
なんて言葉

それでも、渡すと今でも鮮明に情景が思い出せるくらいすっごく喜んでくれて、
「みんなこんなこと考えてたんだ~」
「やっぱりお母さんは偉大だね~」
そう言ってニヤニヤしていました。

まさかあれが最後の母の日になるなんて思ってなかったよ。
もっとたくさん話せばよかったなぁ。
お母さん。

 

======
3月8日、愛犬の柴犬が天国に行きました。
名前は「もがみ」ちゃん。
もがみは母が里犬のサイトで見つけてきた子です。

母は動物と目があうと(思い込むと)連れて帰ってきてしまう人で。
その前に飼っていたオカメインコも、コーギーも、
「絶対あの子私を見てたの!」といって飼い始めました。

もがみもそんなかんじで飼うことになり、
人にべったりする子ではなかったものの、
10年くらいはそばにいてくれて、
最期は末期ガンで静かに亡くなりました。


母が亡くなった時、もがみは寂しそうでした。
玄関先でおすわりをし、妹いわく
「母をどこに連れていったの?」と言いたげな目をしていると・・

天国で無事に母に会えたでしょうか。
散歩をしてもらっているでしょうか。

 

======
GWも今日で終わり。
10日も休んでしまったので会社に行ける気がしません。
それでも、ちゃんと働いて、飲んで食べて遊んでまた働いて、
人生を全うして、母にあいにゆきたいものです・・


今日もいきてゆきます。

 

思い出になった日

今日ひと月ぶりに実家に帰ったのですが、
普段はでかけていることの多い家族がたまたま皆いました。

そこで避けては通れぬ相続の話などしたのですが、

 

私「お母さんって貯金あったの?」

父「まぁXXくらいはあったよ」

妹「でもお母さん、一ヶ月に2回は山に行って、
  旅行もたくさんいって、
  遺ってるだけでもすごいことだよ~」

父「みんな大学生にあってからお母さん、
  友達にもう家事はしない宣言してたらしいぞ。
  好きなことをやるって。
  最近は俺が9割以上家事してたんだからな」

私「そんなこといってるとまた怒られちゃうよ。
  夢枕に立たれちゃうよ」


なんて話をして、
すごく印象的だったのが皆笑顔だったのです。


半年前は、ほんとうに、ただ地元を歩いているだけでも涙が溢れ
もう大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら毎日をやり過ごしていました。

唯一、職場だけが逃げ場でした。
仕事をしている時だけはすべてを忘れられました。
働いて、働いて、ふと休憩してる瞬間に思い出したりして
辛さをかき消すようにまた働いて・・

休日には予定をパンパンにつめ、また平日に働く。
うまく向き合えないけれど、それでも自分は生きていかねばいけないわけで。

多分それは家族も同じで、
皆懸命に向かい合い、受け入れきれず、それでも受け入れ、前に進み、

そしてあっという間に半年がたち、
今日、皆で話をした時に、

辛いとか、悲しいとか、そういった感情でなく、
心からお母さんはこうだったよね、と
皆で母に思いを馳せることができた気がしたのです。

もう顔を見ることはできないし、
一緒にごはんを食べたり、
買い物したり、
旅行をしたり、
結婚式にきてもらったりとか、
孫の顔をみせたりとか、
そういったことはできないのだけれども、

まるでそこに母がいるように、
母がいなくなる前のような空気を感じられたことが、
とても嬉しかったのです。

 


======
母が倒れた時、病室でいつも考えていたことがありました。

人工呼吸器で命をつないでいた母の命。
生きているのだから身体は温かいし、
肌に弾力もある。
ただ、意識がない。

それでは母の意識はどこにいっているのだろうか?

亡くなるまでの5日間で、
くも膜下出血を発症した人のブログや書籍をたくさん読みましたが、
決まって書いてあったことは

「身体は動かなくても、意識はありました」
「話かけてくれる言葉もわかるし、」
「病室の上からいつも自分の身体を見下ろしていました」


なるほど。
もしかしたら母も、自分の身体を見下ろしながら
「なんでみんな泣いてるの?私はここにいるのに!」
なんて叫んでるのかも、なんて思ったりしました。

肉体はなくなってしまっても、魂は残るのかな、なんて。

 


======
だから、今日のことがすごく印象的だったのです。
母の魂は、肉体がなくなってしまった今も、
ちゃんと皆の中で生きてるのだと感じられたから。

 


======
おかあさん、ありがとう
今日も生きてゆきます。

2016

2015年8月、偉大なる母が亡くなり約4ヶ月が経ちました。

2016年。
やっと連休が始まったかと思えばもう終わりそうで愕然としています。
10連休だったはずなのに・・・


======
世間一般的に喪中とは言いますものの、我が家は浄土真宗なので、
「往生即成仏」(亡くなってすぐ仏様になるため、死=穢れという概念がない)であり、
普通に年越し蕎麦を食べ、氏神様に初詣に行き、
2日は親戚と母の墓参りに行きました。

母が倒れてから亡くなって、しばらく呆然とし泣いてばかりいた祖父母も
少しだけ元気になり、安心した次第です。

おじいちゃん、おばあちゃん、長生きしてね。
もちろん、父も、妹も。

 

======
母が亡くなってからは「死」がグッと身近なものになりました。

57歳。
日本人女性の平均寿命が86歳であることを考えるとあまりに若すぎる死。

亡くなる数カ月前には私の誕生日を祝ってくれて
お肉が好きでしょ?と言って良いお肉ですき焼きをしてくれました。
数日前には伊勢丹で大好きなストールを買い、
妹と一緒に高級なジャムを買うか迷って、
「身の丈にあわないね」なんて笑ってやめて、
前日には父と一緒に大好きな山登りをして、
当日は天職だった家庭教師をして、
帰り道、大好きだったパワーストーンを迷って、選んで、
やっと決めて買って、店員と雑談をしていたら、その場で倒れてしまった母。

亡くなってから、当日の話を詳しく聞くほど、
「死」は突然やってくるものなのだと実感させられました。


お母さん。

あなたがいなくなってから私は
なるべく自分で料理をし、野菜を食べる機会を増やしました。
焼き肉に行く回数は減らしたよ。
運動も始めました。
週に1、2回、ホットヨガをしています。
あなたが気にしていたニキビもなくなったよ。
英語の勉強を始めました。
どんなに不況になろうと、生き残れる力をつけられるように頑張ります。
妹のこと、前より気にかけています。
でも2人とも私よりしっかりしてるから大丈夫。

昨年末は文句を言いながら作っていたお煮しめ、ちゃんと作ったよ。
まさかこんなに早く受け継いでしまうことになるとは思いませんでした。
お母さん、いっぱい頑張ってくれてありがとう。
ありがとう。

 

======
後悔しないように生きること。
母が教えてくれたこと。

お墓参りにいったとき、
そこにあなたがいるように思えませんでした。
日常で、ふとした瞬間見守ってくれているような。
あたたかい空気を感じることがあります。

子供にたくさんの愛情を注ぎ、教育を惜しまず、
趣味を謳歌し、たくさんの友人に囲まれて。
誰からも愛されていた母。


生きていれば明日は58歳の誕生日。

孫を見せられなかったのが唯一の心残りだけれども、
あなたがこの世に残してくれたこの命、大切な家族、そばにいてくれる人たちに
恥じないように生きていきます。

精一杯生きれば、きっとまた会えるでしょう。
ありがとう、ずっとそばに居てね。

 

======
2016年の目標は「変化」。

2015年暮れから意識し始めた、いまを「変える」ということ。
2016年は行動に移し、未来に繋がるよう一歩一歩踏みしめて進んでいきます。


新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。