一周忌
9月になりました。
まだまだ暑い日が続いておりますね。
皆様、いかがおすごしでしょうか?
このブログをはじめたのもちょうど今くらい暑い時期で、
更新頻度は低めですが、一年続けているのだなぁと思うと感慨深いです。
母が亡くなって、一年と少しが経ちました。
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先月8/7に母の一周忌を行いました。
ちょうど去年の8/7は、母がクモ膜下出血で倒れた日です。
あの日は会社にいて、夕方頃にたまたまデスクにおいていた携帯の画面をみました。
父からの着信が一件…
滅多に電話してこない父からの電話で少し心がざわついたのを覚えています。
念のため「何か用事?」とメールしてみると、即返信がきました。
「おかあさんがしにそうでんわくれ」
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あの日から、色々なことが変わりました。
あの日担当していた案件は、もう終わってしまいました。
あの日社内にいた仲良しの先輩は、他の会社へいってしまいました。
たった一年ですが、環境はめまぐるしく変わり、
辛いこと、悲しいこと、自然に涙が流れてしまうような出来事も沢山ありました。
でも、
あの日から、家族と頻繁に連絡をとるようになりました。
あの日から、お金を意識して貯めるようになりました。
あの日から、周りの人に異変がないか、よくみるようになりました。
やりたいこともできました。
守りたいものも増えました。
一番変わったことは、母がいなくなってしまったことです。
一年たつと、さすがに町を歩いていて涙が流れてくることはなくなりました。
それでもふとした瞬間、「ああ、もう会えないんだ・・」
そう思うと心臓がギュッとしめつけられます。
それでも、あの日より辛い出来事はそうそうないだろう、
どんなに辛いことでも生きている限り乗り越えていくしかないんだ、
そう思えるようになったことが私をすこしだけ、前向きに、強くしてくれました。
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一周忌は、家族と、近しい親戚を招いて営みました。
一年という月日は短いようで長く、
一月の母の誕生日に集まった時には涙ぐんでいた祖父、祖母も表情が穏やかでした。
この日は雲一つないよく晴れた日で、立っているだけで汗が滲むような暑さでした。
ちょうど去年も同じような天気だったなと思いつつ、
「いつも見守ってくれてありがとう」
「会えなくて寂しいです」
「でも、元気にすごしているよ」
そんなことを考えながらお線香をあげました。
お墓参りには母が所属していた山岳会の方々もいらしてくださり、
たくさんの人に愛されていたんだなぁ・・と思うと同時に
もっと山登りさせてあげたかったな・・と思いました。
今でも実家のタンスにしまってある新品の山岳グッズを見るたびに、胸が締め付けられます。
せっかくたくさん揃えたのに、あまり使わないまま逝ってしまったのです。
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このブログを始めたきっかけは、友人に自分の現状を伝えようと思ったからでした。
ごく近しい人たち以外にわざわざ「母がなくなりました」と伝えるのは何か違うな、と思ったものの
大切な人が突然いなくなることもあるのだということを知って欲しかったのです。
また、母は突然倒れ、その後5日間意識が戻ることなく亡くなってしまったので、
何があったのか、自分のためにきちんと記しておきたい気持ちもありました。
公開すると、予想以上にたくさんの友人がみてくれて、沢山連絡をくれました。
「今日家族に連絡しようと思う」とか、
「親孝行しないと、と思った」とか、
実際に頻繁に実家に帰るようになった友人もいて、
書いて本当によかったと思えるようなことがありました。
それ以外に、直接の知り合いではないですが、ブログをみてコメントを下さる方がいらっしゃいました。
印象的だったのは、私と同じような境遇の方が多かったことです。
大切な人を失う・・・
計り知れない絶望感です。
友人は「当人にしかわからないことだろうから、何も言えない」といってくれましたが、本当にそうなのです。
だからこそ、そういう方々の支えに少しでもなれたかな?と思えたことが
ブログを書いていて一番よかったことです。
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あまり文章を書くのは得意ではないですが、
これからも気持ちの整理をしたいとき、ブログを書いていこうかなと思っています。
頻度は高くないですが、これからもよろしくお願いいたします。
母の日
みなさま
暑い日が続いていますね。
連日室温が30度超えでどうにかなりそうです。
いかがお過ごしでしょうか。
私は3月4月と仕事がきつかったり、
仲良しの上司が辞めてしまったり、
10年連れ添った愛犬が死んでしまったり、
精神がゴリゴリと削られていましたが・・
あまり話したことがなかった先輩に弱音を吐いてみたら
飲みにいくことになって少し仲良くなれたり、
上司にきついことはきちんときついと伝えられるようになったり、
伝えたことによって新しい分野の仕事に挑戦できたり。
(まぁ超ポジティブな解釈ですが・・嫌なことの方が多かったです・・働くって大変)
そんなこんなであっという間に5月になり、
連休も無事にもらえて旅行に行ったり、
最近は穏やかな時間をすごしておりました。
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5月8日
本日、5月の第二日曜日は母の日ですね。
みんなカーネーションを贈るのかな?
なんて思いつつ実家に帰ったら祖母は叔母からあじさいをもらっていました。
去年の母の日はすごく印象に残っていて。
妹が母のためにご馳走を作って、3姉妹で花束を贈りました。
カードに添えたメッセージはほんとうにありきたりで
「ずっと元気でいてね」
「大好きだよ」
「育ててくれてありがとう」
なんて言葉
それでも、渡すと今でも鮮明に情景が思い出せるくらいすっごく喜んでくれて、
「みんなこんなこと考えてたんだ~」
「やっぱりお母さんは偉大だね~」
そう言ってニヤニヤしていました。
まさかあれが最後の母の日になるなんて思ってなかったよ。
もっとたくさん話せばよかったなぁ。
お母さん。
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3月8日、愛犬の柴犬が天国に行きました。
名前は「もがみ」ちゃん。
もがみは母が里犬のサイトで見つけてきた子です。
母は動物と目があうと(思い込むと)連れて帰ってきてしまう人で。
その前に飼っていたオカメインコも、コーギーも、
「絶対あの子私を見てたの!」といって飼い始めました。
もがみもそんなかんじで飼うことになり、
人にべったりする子ではなかったものの、
10年くらいはそばにいてくれて、
最期は末期ガンで静かに亡くなりました。
母が亡くなった時、もがみは寂しそうでした。
玄関先でおすわりをし、妹いわく
「母をどこに連れていったの?」と言いたげな目をしていると・・
天国で無事に母に会えたでしょうか。
散歩をしてもらっているでしょうか。
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GWも今日で終わり。
10日も休んでしまったので会社に行ける気がしません。
それでも、ちゃんと働いて、飲んで食べて遊んでまた働いて、
人生を全うして、母にあいにゆきたいものです・・
今日もいきてゆきます。
思い出になった日
今日ひと月ぶりに実家に帰ったのですが、
普段はでかけていることの多い家族がたまたま皆いました。
そこで避けては通れぬ相続の話などしたのですが、
私「お母さんって貯金あったの?」
父「まぁXXくらいはあったよ」
妹「でもお母さん、一ヶ月に2回は山に行って、
旅行もたくさんいって、
遺ってるだけでもすごいことだよ~」
父「みんな大学生にあってからお母さん、
友達にもう家事はしない宣言してたらしいぞ。
好きなことをやるって。
最近は俺が9割以上家事してたんだからな」
私「そんなこといってるとまた怒られちゃうよ。
夢枕に立たれちゃうよ」
なんて話をして、
すごく印象的だったのが皆笑顔だったのです。
半年前は、ほんとうに、ただ地元を歩いているだけでも涙が溢れ
もう大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら毎日をやり過ごしていました。
唯一、職場だけが逃げ場でした。
仕事をしている時だけはすべてを忘れられました。
働いて、働いて、ふと休憩してる瞬間に思い出したりして
辛さをかき消すようにまた働いて・・
休日には予定をパンパンにつめ、また平日に働く。
うまく向き合えないけれど、それでも自分は生きていかねばいけないわけで。
多分それは家族も同じで、
皆懸命に向かい合い、受け入れきれず、それでも受け入れ、前に進み、
そしてあっという間に半年がたち、
今日、皆で話をした時に、
辛いとか、悲しいとか、そういった感情でなく、
心からお母さんはこうだったよね、と
皆で母に思いを馳せることができた気がしたのです。
もう顔を見ることはできないし、
一緒にごはんを食べたり、
買い物したり、
旅行をしたり、
結婚式にきてもらったりとか、
孫の顔をみせたりとか、
そういったことはできないのだけれども、
まるでそこに母がいるように、
母がいなくなる前のような空気を感じられたことが、
とても嬉しかったのです。
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母が倒れた時、病室でいつも考えていたことがありました。
人工呼吸器で命をつないでいた母の命。
生きているのだから身体は温かいし、
肌に弾力もある。
ただ、意識がない。
それでは母の意識はどこにいっているのだろうか?
亡くなるまでの5日間で、
くも膜下出血を発症した人のブログや書籍をたくさん読みましたが、
決まって書いてあったことは
「身体は動かなくても、意識はありました」
「話かけてくれる言葉もわかるし、」
「病室の上からいつも自分の身体を見下ろしていました」
なるほど。
もしかしたら母も、自分の身体を見下ろしながら
「なんでみんな泣いてるの?私はここにいるのに!」
なんて叫んでるのかも、なんて思ったりしました。
肉体はなくなってしまっても、魂は残るのかな、なんて。
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だから、今日のことがすごく印象的だったのです。
母の魂は、肉体がなくなってしまった今も、
ちゃんと皆の中で生きてるのだと感じられたから。
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おかあさん、ありがとう
今日も生きてゆきます。