暮れ

御無沙汰しております。2019年ももう終わりますね。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

エントリーを見たら最初の記事が2015年でびっくりしました。
4年、早いですね。早いけど仕事・私生活ともにあのときからガラッと変わったので、時間がたっているんだなぁと実感します。

2019年、私にとって結構重要な年でした。家族や友人関係、趣味など取り巻く環境が変化した一年で、そのためか「人は人、自分は自分」と割り切って考えることが多くなったように思います。

この年齢で親を亡くしてる人ってやっぱり少なくて、亡くなってすぐの時は割り切れないことが多かったのですが、人は多かれ少なかれ(言い方がよくないですが)不幸を背負って生きてるし、それは誰しもが相互的に理解できるものではないと思えるようになったので、以前に比べて生きやすくなったかなと思います。

先日家族と話している時、「いい人生」というキーワードがでました。
私は仕事も趣味もあって飲みたいときにお酒が飲める今の生活が結構気に入っていて、わりといい人生だな~と思うのですが、家族は全然違う考え方でした。他人なので価値観が異なるのは当たり前なのですけど、随分長いことそばにいても根底の部分はすり合っていかないというか、充実感に対する貪欲さが全然違うというか・・。改めて、家族って「自分に一番近い他人」なのかもな、と感じています。

皆さんにとっていい人生って、どんな人生でしょうか?
母はいい人生を送れてたのかな。元気だったら今なにをしていたんだろう。趣味の山登りをまだ続けていただろうか。日本酒が好きだったので、今だったら一緒に楽しくお酒が飲めたかな。4年前みたいに猛烈に悲しくなることはなくなりましたが、時々ふと思い出します。

もう三週間もすれば年末ですね。去年はバタバタしていてあまり片付けや年越しの準備ができませんでした。
今年はきちんとできること/できないことの切り分けをして、母に教えてもらったことをやる時間を作りたいなと思います。

寒い日が続きますが、どうかお身体にお気をつけてお過ごしください。 きっとまた、更新します。

夢と思い出

だんだんと暖かくなり、春めいてまいりましたね。
私は花粉症が辛くなってまいりました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか?

前回から随分間が空いてしまいました。
コメントくださった方、ありがとうございます。
返信できておらず、申し訳ございません。

似たような境遇の方が多いのだなぁと、改めて実感します。
どうかご無理はなさらず、ご自身のペースで気持ちを落ち着けてくださいね。

今日は、少し前に見た夢のお話をさせていただきます。
細かい部分は結構わすれてしまいましたが。

その夢には、母と妹と私がでてきました。
いつもと違うところは夢の中で、自分が夢を見ていることに気づけたことです。

私はごく稀に夢の中で夢を見ていることに気づきます。
古典的?な方法ですが、最初は(もしかしてこれは夢なんじゃないかな)と思い、次にほっぺたを叩きます。
痛くない時は夢で、でもその日いつもと違ったことは、母が目の前にいて(ああ、これは本当に夢だな)と思ったところでした。

つまり夢の中で母が既に無くなっていることを認識できていたのですね。

亡くなっている人が前にいて、夢は覚めるものだとわかっていて、私がしたことは「妹のほっぺたを叩く」でした。
「これは夢なんだよ…!」
(バチン!)
「痛くないよね!?
今のうちにお母さんと話さないと…!
覚めたら会えなくなっちゃうから…」

そこから何を話したか忘れてしまいましたが、生前にしていたような、何気ない会話をしたように思います。
幸せな夢でした。

亡くなってもう2年半以上経ちますが、まだまだ寂しいです。
母は満足のいく人生を送れただろうか。
亡くなったのは子どもが成人し、大学に行って、私と妹1人は就職していて、もう1人は就活中だった時。
金銭的にも時間的にも、これからは好きなだけ趣味に没頭できる、そんな時期だったのではないかと思います。

季節が巡るたびに、思い出す風景があります。
中学受験した日の朝、朝食にスニッカーズを渡されたこと。
いつも寒そうにして、寒そうなのに何故か指先の部分があいた手袋をしていたこと。
帰りが遅くなる時、私の布団を乾燥機であっためていてくれたこと。
もうすぐ桜が咲いたらきっと、夜桜が咲く公園を、私と母で飼っていた柴犬の散歩をしたことを思い出すでしょう。

私はあまり素直ではなかったので母と衝突することも多く、良い思い出ばかりではなかったですが
それでも家族で過ごしたあの色鮮やかな日々を、また過ごしたいと、夢見てしまうのです。

春は別れと、出会いの季節ですね。
私も小さな別れがいくつかありました。
環境が変わる方も多いでしょう。

体調など崩されぬよう。
浅春の折、何卒ご自愛下さい。

転じ

梅雨明けが待ち遠しい今日この頃、皆様いかがおすごしでしょうか。

このたび、新卒で入社し丸4年間働いた会社を退職することになりました。
文系学部卒だった私を、エンジニアとして、また社会人として
優しくまた辛抱強く、ときに厳しく指導くださった上司、同僚、また
こんな私を信じてついてきてくれた部下にはただただ感謝しております。

来月からは業界の違う、職種も今とは少し異なる、新しい環境に身をおくこととなります。
緊張はしますが、きっとなんとかなるでしょう。
今まで「もうだめだ」と思う瞬間は幾度となくありましたが、それでもなんとか今、生きているのですから。

人生とは、「変化」が重なって一つの長い糸のように紡がれているものなのかなぁと、ぼんやり考えています。
一瞬たりとも同じ時間などないですね。きっと、今この瞬間も同じようにみえて
昨日とは、一か月前とは、さらに一年前、十年前とは違う時間を生きているのだなぁと感じます。

転職を決めたとき、やはり思い浮かんだのは母のことでしたし、生きていたら良き相談相手になっていてくれたと思います。
面接でも「母のことがあり考え方が変わったからこそ、今この場にいます」ということをお話し、受け入れてもらえたから前に進むことができました。

内定をもらったあと、お墓参りにいきました。
よく晴れた気持ちのいい日に、霊園の最寄り駅のお花屋さんで母の好きだったかわいらしい色の花を買い、これからも家族を見守ってくださいとお願いしました。

よく母は私の行く末を心配していたけれど、あなたの人柄ならどこへいっても大丈夫よ、と肯定もしてくれました。
面接のフィードバックでたまたま人柄について言及していただいた部分があって、そのときに
私のすべてに母にいわれたこと、教わったことが根底としてあって、改めて母に生かされてるなぁということを感じました。

生きているときはよく口喧嘩もして、ひどいことを言って泣かせたり
逆に言われてこちらが落ち込んで泣いたり
今でも思い出すと後悔はつきなくて
ああすればよかったとかこうすればよかったとか
ああ海外に行きたがっていたなぁとか、でも今は世界の情勢も安定していないし
感情移入しやすい母が生きていたらきっと毎日ニュースを見て泣くだろうとか
先月も母の日があって、ああ、昔母の日にはこんなやりとりをしたなぁとか
理不尽な理由でプレゼントを突き返されたことを思い出しておもいだし怒りしたりとか
電車の吊り広告で母の日特集を見るたびに胸のなかでジワジワくるものがあり
また出勤してても、母とよく乗った電車、駅、道、お店を通るわけで
心穏やかに日々を過ごせているかというと違ったりはするのですが、
それも含めてすべて私で、私は生きているので後ろを振り返ることもあるけど、
時間は強制的に自分を前に向かせるので
私は、今、ここに立たせてもらっているのだなぁと思います。

そういえば、今の会社に入社して3年目の時に亡くなったので
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社と私の人生を見守ってきた母が
初めて知らないコミュニティに飛び込むわけですね。
そのことがなんだか不思議で感慨深いといいますか、色々と思うところもあるわけで
一度書き始めると止まらなくなってしまいますが。
来月から環境は変わりますが、改めて頑張っていきますというご報告でした。

昨日は雨が降り肌寒い一日でしたが、今日は日差しが強く少し出歩くだけで汗ばむ陽気で、
時節柄、皆様どうぞご自愛くださいませ。

 

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