読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

変化に弱い

7年間担当してくださっていた美容師さんが
今月末でお店を辞めるらしい。

 

私は人と話すのがあまり好きではないし
おしゃれな方でもない。
だから昔は美容室なんて「ただ髪を切りにいく場所」だったけど
7年も行き続けていると
「気分転換したいときに行く場所」
に変わっていった。

 

大学時代は少し個性的な髪型にして気分転換を
就活中は色を落ち着けてもらって戦場へ
母が亡くなったときは沢山泣いて、髪をバッサリきって黒に染め喪に服した。

髪を切ると自然と気持ちが前向きになった。

 

なりたい髪型も最初は考えていったけど
徐々におまかせするようになった。
美容師さんも何も言わなくても似合わせで切ってくれるようになった。
人生相談もするようになり、
またされるようにもなった。

 

「ずっと髪を担当してもらう」ことは
一見ただ同じ人を指名し続けるだけのように思えるけれども
「人生に寄り添ってもらう」ことだったのを改めて実感した。
これからもそれが当たり前だと思っていた

 

人生は人の数だけあって
そのぶんだけ出会いがあるし別れもある。

 

わかっているけど寂しい。
母がなくなったとき、自分は少し強くなったなんて思ったけど
あいかわらず変化に弱いままだった。

 

明日最後のカットに行くのだけれども
辞めると聞いた瞬間からずっと落ち着かない気持ちでいる。
仕事中も、終わってからも、ずっと。

 

二年くらい前になんとなく「伸ばそうかなぁ」と呟いたのを聞き逃さずにいてくれて、
その後バッサリいこうとしてもなかなか切ってくれなかった。
おかげで髪の毛は胸まで伸びたけど、明日バッサリと切ろう。

 

文章にすれば少し落ち着くかな?なんて思ったけれど
より一層、寂しさを実感してしまった。

 

今までありがとうございました

母の夢をみました

先日母の夢をみました。
あまりにリアルだったので残しておきます。

最近仕事が忙しく、ちょくちょく休日出勤をしています。
先週の日曜日も午後から出勤の予定で、朝に一度起きたのですが、
二度寝をしてしまいました。
その時にみた夢です。

母と私は、地元のスーパーで買い物をしています。
生前、よく一緒に買い物をしたスーパー。
その日は寒く、夕飯におでんをつくろうと思い、入れる具材を選んでいました。
母が着ていたのはブラウンのコート。新宿の伊勢丹で買った母のお気に入りでした。

夢と現実は妙にリンクしていて、時間と状況が同じでした。
つまり、時間は午前中で、私は午後からの出勤を控えており、
母と夕飯の買い出しをしている場面でした。

私が「帰って夕飯仕込んで仕事行くから」というと、母が
「あなたはいつもそうやってギリギリの行動をするんだから...」と呆れる。
よくこんなかんじで呆れられていました。懐かしい。

「こんなときに怒らないでよ!」と言い返し、母の顔をじっとみると、
私はあることに気付きました。

「お母さん、もう亡くなってるんだよなぁ...」


------------------

気付いたときには母はおらず、私は買ったおでんを片手に、
一人でとぼとぼスーパーの階段を登って帰りました。

母が亡くなってから夢に何度かでてきましたが、
こんなにも日常を切り取ったようなシーンは初めてでした。
場所も、会話も、服も髪型も肌の質感まで生前と同じです。
ついでに怒られる理由も変わってない。。

ただひとつだけいつもと違ったことは、夢の中の自分が母の死に気づいたこと。
母は生前よくしていた服装で、ベージュのカシミアのセーターと、
ブラウンのコートを着て、指を擦り少し寒そうにしていました。
母は身体が細く、よく寒そうにしている人でした。
なんてリアルな夢なんだろう。。

どうせならもう少し長く話していたかった。
生前にはなにげない日常だった夕飯の買い出しも、今思えばかけがえのない時間でした。
たくさん買ってパンパンになった買い物袋、もっと持ってあげればよかった。
もっとご飯作ってあげればよかった。
嗚呼。。今更。。

ちなみに起きたらギリギリの時間でした。
夢の中の母の警告は正しかったというオチです。

一周忌

9月になりました。
まだまだ暑い日が続いておりますね。
皆様、いかがおすごしでしょうか?

このブログをはじめたのもちょうど今くらい暑い時期で、
更新頻度は低めですが、一年続けているのだなぁと思うと感慨深いです。

母が亡くなって、一年と少しが経ちました。

 

================================

先月8/7に母の一周忌を行いました。
ちょうど去年の8/7は、母がクモ膜下出血で倒れた日です。

あの日は会社にいて、夕方頃にたまたまデスクにおいていた携帯の画面をみました。
父からの着信が一件…
滅多に電話してこない父からの電話で少し心がざわついたのを覚えています。
念のため「何か用事?」とメールしてみると、即返信がきました。


「おかあさんがしにそうでんわくれ」

 

================================

あの日から、色々なことが変わりました。

あの日担当していた案件は、もう終わってしまいました。
あの日社内にいた仲良しの先輩は、他の会社へいってしまいました。

たった一年ですが、環境はめまぐるしく変わり、
辛いこと、悲しいこと、自然に涙が流れてしまうような出来事も沢山ありました。

でも、
あの日から、家族と頻繁に連絡をとるようになりました。
あの日から、お金を意識して貯めるようになりました。
あの日から、周りの人に異変がないか、よくみるようになりました。

やりたいこともできました。
守りたいものも増えました。

一番変わったことは、母がいなくなってしまったことです。
一年たつと、さすがに町を歩いていて涙が流れてくることはなくなりました。
それでもふとした瞬間、「ああ、もう会えないんだ・・」
そう思うと心臓がギュッとしめつけられます。

それでも、あの日より辛い出来事はそうそうないだろう、
どんなに辛いことでも生きている限り乗り越えていくしかないんだ、
そう思えるようになったことが私をすこしだけ、前向きに、強くしてくれました。

 

================================

一周忌は、家族と、近しい親戚を招いて営みました。
一年という月日は短いようで長く、
一月の母の誕生日に集まった時には涙ぐんでいた祖父、祖母も表情が穏やかでした。

この日は雲一つないよく晴れた日で、立っているだけで汗が滲むような暑さでした。
ちょうど去年も同じような天気だったなと思いつつ、
「いつも見守ってくれてありがとう」
「会えなくて寂しいです」
「でも、元気にすごしているよ」
そんなことを考えながらお線香をあげました。

お墓参りには母が所属していた山岳会の方々もいらしてくださり、
たくさんの人に愛されていたんだなぁ・・と思うと同時に
もっと山登りさせてあげたかったな・・と思いました。

今でも実家のタンスにしまってある新品の山岳グッズを見るたびに、胸が締め付けられます。
せっかくたくさん揃えたのに、あまり使わないまま逝ってしまったのです。

 

================================

このブログを始めたきっかけは、友人に自分の現状を伝えようと思ったからでした。
ごく近しい人たち以外にわざわざ「母がなくなりました」と伝えるのは何か違うな、と思ったものの
大切な人が突然いなくなることもあるのだということを知って欲しかったのです。

また、母は突然倒れ、その後5日間意識が戻ることなく亡くなってしまったので、
何があったのか、自分のためにきちんと記しておきたい気持ちもありました。

公開すると、予想以上にたくさんの友人がみてくれて、沢山連絡をくれました。
「今日家族に連絡しようと思う」とか、
「親孝行しないと、と思った」とか、
実際に頻繁に実家に帰るようになった友人もいて、
書いて本当によかったと思えるようなことがありました。

それ以外に、直接の知り合いではないですが、ブログをみてコメントを下さる方がいらっしゃいました。
印象的だったのは、私と同じような境遇の方が多かったことです。

大切な人を失う・・・
計り知れない絶望感です。
友人は「当人にしかわからないことだろうから、何も言えない」といってくれましたが、本当にそうなのです。

だからこそ、そういう方々の支えに少しでもなれたかな?と思えたことが
ブログを書いていて一番よかったことです。

 

================================

あまり文章を書くのは得意ではないですが、
これからも気持ちの整理をしたいとき、ブログを書いていこうかなと思っています。
頻度は高くないですが、これからもよろしくお願いいたします。