夢と思い出

だんだんと暖かくなり、春めいてまいりましたね。
私は花粉症が辛くなってまいりました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか?

前回から随分間が空いてしまいました。
コメントくださった方、ありがとうございます。
返信できておらず、申し訳ございません。

似たような境遇の方が多いのだなぁと、改めて実感します。
どうかご無理はなさらず、ご自身のペースで気持ちを落ち着けてくださいね。

今日は、少し前に見た夢のお話をさせていただきます。
細かい部分は結構わすれてしまいましたが。

その夢には、母と妹と私がでてきました。
いつもと違うところは夢の中で、自分が夢を見ていることに気づけたことです。

私はごく稀に夢の中で夢を見ていることに気づきます。
古典的?な方法ですが、最初は(もしかしてこれは夢なんじゃないかな)と思い、次にほっぺたを叩きます。
痛くない時は夢で、でもその日いつもと違ったことは、母が目の前にいて(ああ、これは本当に夢だな)と思ったところでした。

つまり夢の中で母が既に無くなっていることを認識できていたのですね。

亡くなっている人が前にいて、夢は覚めるものだとわかっていて、私がしたことは「妹のほっぺたを叩く」でした。
「これは夢なんだよ…!」
(バチン!)
「痛くないよね!?
今のうちにお母さんと話さないと…!
覚めたら会えなくなっちゃうから…」

そこから何を話したか忘れてしまいましたが、生前にしていたような、何気ない会話をしたように思います。
幸せな夢でした。

亡くなってもう2年半以上経ちますが、まだまだ寂しいです。
母は満足のいく人生を送れただろうか。
亡くなったのは子どもが成人し、大学に行って、私と妹1人は就職していて、もう1人は就活中だった時。
金銭的にも時間的にも、これからは好きなだけ趣味に没頭できる、そんな時期だったのではないかと思います。

季節が巡るたびに、思い出す風景があります。
中学受験した日の朝、朝食にスニッカーズを渡されたこと。
いつも寒そうにして、寒そうなのに何故か指先の部分があいた手袋をしていたこと。
帰りが遅くなる時、私の布団を乾燥機であっためていてくれたこと。
もうすぐ桜が咲いたらきっと、夜桜が咲く公園を、私と母で飼っていた柴犬の散歩をしたことを思い出すでしょう。

私はあまり素直ではなかったので母と衝突することも多く、良い思い出ばかりではなかったですが
それでも家族で過ごしたあの色鮮やかな日々を、また過ごしたいと、夢見てしまうのです。

春は別れと、出会いの季節ですね。
私も小さな別れがいくつかありました。
環境が変わる方も多いでしょう。

体調など崩されぬよう。
浅春の折、何卒ご自愛下さい。

転じ

梅雨明けが待ち遠しい今日この頃、皆様いかがおすごしでしょうか。

このたび、新卒で入社し丸4年間働いた会社を退職することになりました。
文系学部卒だった私を、エンジニアとして、また社会人として
優しくまた辛抱強く、ときに厳しく指導くださった上司、同僚、また
こんな私を信じてついてきてくれた部下にはただただ感謝しております。

来月からは業界の違う、職種も今とは少し異なる、新しい環境に身をおくこととなります。
緊張はしますが、きっとなんとかなるでしょう。
今まで「もうだめだ」と思う瞬間は幾度となくありましたが、それでもなんとか今、生きているのですから。

人生とは、「変化」が重なって一つの長い糸のように紡がれているものなのかなぁと、ぼんやり考えています。
一瞬たりとも同じ時間などないですね。きっと、今この瞬間も同じようにみえて
昨日とは、一か月前とは、さらに一年前、十年前とは違う時間を生きているのだなぁと感じます。

転職を決めたとき、やはり思い浮かんだのは母のことでしたし、生きていたら良き相談相手になっていてくれたと思います。
面接でも「母のことがあり考え方が変わったからこそ、今この場にいます」ということをお話し、受け入れてもらえたから前に進むことができました。

内定をもらったあと、お墓参りにいきました。
よく晴れた気持ちのいい日に、霊園の最寄り駅のお花屋さんで母の好きだったかわいらしい色の花を買い、これからも家族を見守ってくださいとお願いしました。

よく母は私の行く末を心配していたけれど、あなたの人柄ならどこへいっても大丈夫よ、と肯定もしてくれました。
面接のフィードバックでたまたま人柄について言及していただいた部分があって、そのときに
私のすべてに母にいわれたこと、教わったことが根底としてあって、改めて母に生かされてるなぁということを感じました。

生きているときはよく口喧嘩もして、ひどいことを言って泣かせたり
逆に言われてこちらが落ち込んで泣いたり
今でも思い出すと後悔はつきなくて
ああすればよかったとかこうすればよかったとか
ああ海外に行きたがっていたなぁとか、でも今は世界の情勢も安定していないし
感情移入しやすい母が生きていたらきっと毎日ニュースを見て泣くだろうとか
先月も母の日があって、ああ、昔母の日にはこんなやりとりをしたなぁとか
理不尽な理由でプレゼントを突き返されたことを思い出しておもいだし怒りしたりとか
電車の吊り広告で母の日特集を見るたびに胸のなかでジワジワくるものがあり
また出勤してても、母とよく乗った電車、駅、道、お店を通るわけで
心穏やかに日々を過ごせているかというと違ったりはするのですが、
それも含めてすべて私で、私は生きているので後ろを振り返ることもあるけど、
時間は強制的に自分を前に向かせるので
私は、今、ここに立たせてもらっているのだなぁと思います。

そういえば、今の会社に入社して3年目の時に亡くなったので
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社と私の人生を見守ってきた母が
初めて知らないコミュニティに飛び込むわけですね。
そのことがなんだか不思議で感慨深いといいますか、色々と思うところもあるわけで
一度書き始めると止まらなくなってしまいますが。
来月から環境は変わりますが、改めて頑張っていきますというご報告でした。

昨日は雨が降り肌寒い一日でしたが、今日は日差しが強く少し出歩くだけで汗ばむ陽気で、
時節柄、皆様どうぞご自愛くださいませ。

 

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変化に弱い

7年間担当してくださっていた美容師さんが
今月末でお店を辞めるらしい。

 

私は人と話すのがあまり好きではないし
おしゃれな方でもない。
だから昔は美容室なんて「ただ髪を切りにいく場所」だったけど
7年も行き続けていると
「気分転換したいときに行く場所」
に変わっていった。

 

大学時代は少し個性的な髪型にして気分転換を
就活中は色を落ち着けてもらって戦場へ
母が亡くなったときは沢山泣いて、髪をバッサリきって黒に染め喪に服した。

髪を切ると自然と気持ちが前向きになった。

 

なりたい髪型も最初は考えていったけど
徐々におまかせするようになった。
美容師さんも何も言わなくても似合わせで切ってくれるようになった。
人生相談もするようになり、
またされるようにもなった。

 

「ずっと髪を担当してもらう」ことは
一見ただ同じ人を指名し続けるだけのように思えるけれども
「人生に寄り添ってもらう」ことだったのを改めて実感した。
これからもそれが当たり前だと思っていた

 

人生は人の数だけあって
そのぶんだけ出会いがあるし別れもある。

 

わかっているけど寂しい。
母がなくなったとき、自分は少し強くなったなんて思ったけど
あいかわらず変化に弱いままだった。

 

明日最後のカットに行くのだけれども
辞めると聞いた瞬間からずっと落ち着かない気持ちでいる。
仕事中も、終わってからも、ずっと。

 

二年くらい前になんとなく「伸ばそうかなぁ」と呟いたのを聞き逃さずにいてくれて、
その後バッサリいこうとしてもなかなか切ってくれなかった。
おかげで髪の毛は胸まで伸びたけど、明日バッサリと切ろう。

 

文章にすれば少し落ち着くかな?なんて思ったけれど
より一層、寂しさを実感してしまった。

 

今までありがとうございました